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【7】“諦め”ではなく“明らめ”

――だんだん佳境に入ってきましたね。
「けっこう、しゃべってるよね。おしゃべりだな、私(笑)」

――ファーストを聴いた人たちの中でも、真理子さんの音楽の持っているヒーリング的な要素…
 「あっ、来た!」

――(笑)つまり、一種のヒーリング・ミュージックとしてとらえるむきもあるんじゃないかと思うんですけど、どうでしょうか。
 「流行ってますよねー、癒し。癒し系なんですかとか。今日もホームページのBBSに書いてあった。だけど、ま、癒されたとか、悲しい時に聴いたら元気が出たとか言ってもらうのはすごくうれしいし、良かったなと思うけど、だからといって、癒そうと思って音楽を書いたり、歌ったりしてはいけないと思うんですよ。どうなんでしょうね。それが答え。だから、私は自分で癒し系だなんて思ってないし。仮に私の音楽を聴いて、あなたが癒されたならそれはそれで良かったですねって感じですね」

――一般にヒーリング・ミュージックって言われている音楽が持っている、それこそ、“癒し”じゃなくて“卑しい”ような感じの部分は、多分そういった作り手の意識から生まれてくるんだと思うんですよね。
 「私があなたを癒してあげるっていうようなね。じゃあ、あなたは一段上なの?っていう。見下げるような態度はいけないんじゃないかなーと思う…(笑)」

――今回はニュー・アルバムでは、曲名がますますシンプルなのが多いですよね。
 「そうそう。なんか昔の映画みたいだよね。偶然そうなったんですけどね」

――自分の好みってことですよね。
 「私、タイトルつけはもともといい加減というかシンプルなんですよ」

――それは、あまり考えたくないってこと?
 「後からはつけられないぐらい。ほとんど、テーマみたいなのがタイトルになっている」

――うんうん、ですよね。でも、いちリスナーとして言わせてもらうと、もうちょっと考えた方がいいんじゃないかなっていう感じもして。
 「恥ずかしいんですよ(笑)」

――例えば〈存在〉とか〈理由〉とかさ。もうちょっと、なんとか…(笑)。
 「なんか、ここ工夫してるなっていうのがすごく恥ずかしいんですよ、私。すごく工夫しているところはあるんだけど、歌の中では。でも、曲名は自分でわかればいいかなって、インデックス的に」

――ここまでシンプルな曲名ってのも珍しいよね。
 「なんか、事務書類みたいな感じで(笑)。1番、2番、3番でもいいんですよ、本当は」

――今回も、歌詞は基本的には自分の体験をベースにしていますか。
 「体験というか自分が思ったことですね」

――昨日ライヴを観ていて思ったんだけど、たとえば〈聖歌〉とかには、真理子さんが考えてることや世界観がすごくよく出ている気がする。
 「そうですか。なんかうれしいな」

――何て言っていいのかな。すべて変わってくこの世、ま、諸行無常ですよね。諸行無常の中にあっても、やっぱり私たちは生きていかなくちゃならないんだという、そういう気持ち、姿勢が真理子さんの歌の根底に大きなテーマとしてずっと流れてるんじゃないかって気がしたんですよ。
 「〈流転〉て曲もそうなんですけど、変わりながら生きるっていう感じを歌ったり。ちょっと宗教かぶれですから私は(笑)。仏教かぶれ。写経なんかしてるぐらいだから。だからといって、仏教だけではなくてキリスト教も話として面白いし、考え方として、なんかいいとこ取りみたいな。これはいいな、あ、これもいいなとか」

――この世界ってのはそういうものなんだ、諸行無常なんだっていう、そういう見方、考え方というのが、何よりも声そのものに出ていて、それが聴き手を結果的に癒すんだと思うんですよ。
 「なんか私が変えてやるとかそういうことは全然思ってなくて…、仏教で『諦め』っていうのがあるんですけど、“諦める”っていうのは本当は明るいと書いて“明らめる”っていう、悟るっていう」

――それなんですよ、まさにそれ!!
 「なんか悲しいことがあって嘆くけど、だけどそれも何かの法則に従ってね。悲しい事故があったり、殺人事件があったり。それも運命だとか言うつもりはないけれど」

――うんうん。昨日ライヴ観ながらね、真理子さんの歌に一貫して流れてる一番大きなテーマはなんなのかってずっと考えてたんですよ。で、諦念という言葉が僕の中に出てきたんだけど、諦念なんだけど、けっして悲観しているわけじゃないわけ。それをね、言葉にしたかったんです。“明らめ”だね。
 「受け入れるってことなんですよね。簡単な言葉で言えば」

――そうだね。僕の中に浮かび上がる情景は、まず夕景なんですよ。つまりすべてが終わりつつあるんですね。終わるんだけど、でも、それで真っ暗になって諦めるってのとはまた違うだよな。それでもまた私たちは生きていかなくちゃならないっていう、なんか希望の光みたいなものがイメージとしてあるわけ。
 「なんか暗い歌だなって言われることはありますし、寂しい歌ばっか歌ってるねとかも言われるけど、私は別に寂しいつもりはないし、絶望を歌っているつもりもない」

――そうそう、寂しそうな歌を歌っていても、なんかどこかに明るさがあるんだよね。そこが一番のポイントだと思う。
「お笑い系だしね(笑)」

――次は因幡さんと二人で、ギターを伴奏にした懐メロ集を作る計画があるらしいけど。
 「うん。懐メロ集っていうか、わたしの好きな昔の歌謡曲とかを」

――自分でギターを弾くんですよね。
 「はい」

――なぜ、ピアノじゃなくてギターなんですか。
 「前ね、『SO FAR SONGS』に入ってる〈港の見える丘〉を録った時、実は7曲ぐらい録ったんですよ」

――ギターで?
 「はい。因幡君の家に遊びに行って、それこそ、今日レコーディングだぞ、じゃなくて、ゴールデン・ウィークだったから遊びに行ったら、録音機材が出してあって、そいで、ちょっとこれ歌うか、みたいなノリで歌って録音したんですよ。〈悲しい酒〉とかいろいろ」

――それは全部、自分でギターを弾いたんですか。
 「はい。あの下手な」

――コードは一応知ってるってことですよね。
 「というか、わたしの弾けるコードの曲しか歌ってない。で、弾けない部分はベースを弾いたりとか、そういうインチキな」

――ギターはいつぐらいから練習してたんですか。
 「子供の時に父が少し教えてくれて、ちょっとぐらいは弾けるんです。コードが3つとか4つぐらいは」

――で近年、また復活しているわけですか。
 「あそこ(部屋の隅)にギター隠してあるんですけど。弦がさびてる。あれ、手が痛くなるんで」

――練習してないんだ。
 「ええ。それで、アルバムの分は本当は因幡君が弾いて私が歌うってことにしようよと言ったんだけど、いや、俺が弾くとうますぎるから、お前の下手なギターがいいんだって。でも下手にも限度がある、怒られるんじゃないの、とか言ってたんだけど(笑)、田口さんも、いいですよとか言うし。夏の間にでも作戦を練って、ま、録れればですけど、録りたいですね」

――僕も、因幡さんのギターはやめたほうがいいと思うな。うまいけど、あまりにもカラーが違いすぎるから。彼のギターには怨念が入ってるし。
 「いや、でも私の歌の伴奏としてやる時は、怨念抜きでやってもらって(笑)」

――本当かなあ。
 「すごくうまいギターの人とかはたくさんいるけれど、やっぱ、その曲に対する愛着のある人で、私とコミュニケーションとれる人でっていうと、やっぱ因幡君かなと思って」

――それは夏ぐらいからやるんですか。
 「はい。曲はちょびっと考えてあって。録ろうかなと。本当は、今回のアルバムよりそっちを先に出す予定だったんですけど、遅れちゃって」

――今後の抱負としては、この町で静かに暮らしながら淡々と歌っていきたいということなのかな。
 「それも強く言いたいわけではなく、どうなるかわからない(笑)。その時の状況によって。たとえばやめなきゃならないかもしれないし。武道館でライヴしたいですとか言うと簡単なんだけど(笑)。私もひとつ、なんかそういうことが言えるといいんだけど、いつもこの調子だから、あんまりインタヴューとか好きじゃなくって。こんなにしゃべったの、今日が初めてですね」

(聞き手・松山晋也/2001年6月 浜田真理子自宅にて)


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