――今回美音堂から出るセカンド・アルバム『あなたへ』ですが、歌詞が全部日本語ですね。これは自分の意志で?
「田口さんとか因幡君の思惑もあったし、あとファーストが出た後、いいと言ってくださる人の中から、日本語の歌がもっと聴きたいっていう声もあったりで」
――それは〈のこされし者のうた〉が特にいい曲だったからでしょう。
「それもあるしだろうし、『SO FAR SONGS』の〈港の見える丘〉もあったし。英語の曲も、また同じようなものを作るっていうのもつまらないなと思ったんで。今度は目先がちょっと変わったような日本語の歌もいいなと。ファーストは、失恋した後に書いた歌詞が多いから。頭が英語になっている時に英語で書いたんです。最近、そんなに英語使わないし(笑)。日本語で書いて英語に直すというのもなんか恥ずかしいじゃないですか」
――歌詞を日本語で書く場合と英語で書く場合では、曲そのもの、メロディのつけかたとか曲の展開とか変わってきますか。
「と思いますね。比べてみたことはないけど、言葉のリズムが違うから。私、歌詞が先なんですが、英語はなんかリズムがダンダンダンって、アクセントというか言葉そのものにメロディっぽいものが入っていたり、ビートが後ろだったり、そういうのがあるから、日本語ののっぺりしたのとはまたちょっと違うんじゃないかな」
――日本語で書くとメロディもわりと平坦になりがちってこと?
「平坦ってこともないけど、日本語の言葉の持つニュアンスを生かしたメロディになるんじゃないかな。だから1個の音符に5個ぐらい言葉が入っているようなのは私は多分作らないと思う。言葉のイントネーションに沿ったメロディになるかもしれないし。発想がもう違う。だから、たとえば〈知りたくないの〉歌ってますけど、日本語の部分と英語の部分の歌詞の発想が違うんですよね。訳詩にはなってるんだけど、発音も違うし発声も違ってくるから、最初レコーディングしている時に、田口さんに、違う人が歌っているみたいだから英語の雰囲気と日本語の雰囲気をもうちょっと近づけた方がいいんじゃないかとか言われて。でも、違ってしまうんですよね」
――今回の録音は、どこで?
「プラバホールっていう。松江にある」
――それはコンサート・ホールですか。
「はい。800人ぐらい入る、クラシック専用の」
――そういうでかい空間で、ピアノ1台を置いて録ったんですか。
「そうそう、ステージの上にピアノ出してきて。けっこう、贅沢な録り方だったかもしれません。都会じゃ絶対できないなっていう。2日間借りて。
――それは、音響のことを考えてそういう場所で録ったんですか。
(美音堂)「まずは本人にとって一番楽な場所ということで。東京に出てきてっていうのが難しいんで、やっぱり、ここにいて」
――でも、ピアノ1台だったら、そんなでかいホール借りなくてもいいわけでしょう。
「スタジオ録音ではなくて、ホール録音をしたいっていうのがあって」
――それはあなたの希望で。
「最初は自宅録音みたいなやつにしようっていうもっと楽な方法も考えたんです。ガチャっとやってピッと録ったようなやつを家で録音してみたけど、やっぱあんまり良くなくて」
――自宅がだめでも、たとえば昨日ライヴをやったバーとかで録ることもできるじゃないですか。
「お店はあんまり考えなかったですね」
――いきなりそういうでかいホールで。
「ホールって市民だと安く借りれるんですよ。『mariko』もホール録音なんですよ。
――あっ、そうなんだ。
「ええ。だからそれぐらいしか思い浮かばなったというか(笑)。『mariko』の時は2ヶ所使ってますけど。ひとつは本当に大きい体育館みたいなところ。もうひとつは因幡君の家の前に町の公民館的な小さなホールがあって。で、みんなで機材も持って行って。そんなすごいお金じゃないの。東京でホール借りて2日間朝から晩までだったら、田口さんたちにこっちに来てきてもらった方が安いし。家から行けるし、へんなプレッシャーもかからなくて、気分的にもいいなって」
――今回のホールがあるのは松江市内ですか。
「松江駅から10分で行けるところ」
――今回、これに入っている曲以外にも録ってるんですか。
「このシングルの分とアルバムの分」
――じゃあ、もう最初から曲を決めて録ったわけだ。
「そうそう。選曲の段階で、やっぱ因幡君が途中からプロデュースを一緒にやってくれることになって、彼とも相談しつつ。最初は田口さんが一人でプロデュースするということだったんだけど、やっぱ地元でサポートしてくれる人がいた方がいいということで」
――因幡さんは、最初はこのアルバムには関わらない予定だったんだ。
「最初はもちろん彼に頼んだんだけど、断られて。私はけっこう引き出しがあるから、今度は違う人がやった方が違うテイストが出て面白いんじゃないかと言われて。『mariko』は俺の好きな曲をピックアップしてやったけど、お前にはもっとポップなところもあるし、だったら違う人がやった方がいいって。自分がやると、また同じことになるんじゃないかって彼は心配したみたいです。じゃあ、まーいいやって。それで田口さんに頼んだんですよ。セカンドをやる時にOZディスクから出してもらえませんかねって。もちろん、録音なんかは出来なければ、こっちで持田さんに頼んで録音したやつを送るから、発売元として、と。そしたら、じゃあいいですよと。本当は田口さんは、そういう持ち込みものはやらないらしんですけどね」
――多分、録音の仕方のせいもあるかと思うんだけど、ファーストよりももっと日常的な感じですよね。
「うん、そうですね」
――それは真理子さんの意図でもあったんですか。
「うーん…元々は私の意図ではないです。因幡君は、前作があんなに良かったから次はもっと凄いのを作ろうというのが自分の中にはあったみたいだけど、でも田口さんはそうじゃなくて、まあ、わたしの言葉でいうと金太郎飴というか…、ここを切ったら1998年の真理子はあれで、今切ったらこれで、っていう感じで私のやっている音楽を出したかったみたい。凄いものじゃなく、今の私の日常を切り取った形にして出したいって言われた。それで逆に私もちょっとホッとして。前作のインパクトの大きさもやっぱりあると思うし、聴く人が、がっかりしたとか、そういう声はあるだろうなっていうのは最初から(笑)。曲調なんかも違うし。だけどこの2作目はね、だんだんわかってくるという感じかな。“するめ”って言ってんだけど。だから街角で流れて、えっ、これ誰!?っていうのはないかもしれないけど、一度買ってもらって、最初つまんないなと思っても、もうちょっと聴いてると、だんだん“うわー”っていう風になってほしいなと(笑)」
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